シャネルの始まりは1910年、パリにオープンした1軒の帽子屋だった。
創業者のココ・シャネル(本名:ガブリエル・ボヌール・シャネル)は幼い頃に母親と死別、姉と共に修道院に預けられて育った。
彼女は修道院で裁縫を学び、洋品店のお針子として働き始める。
幼少のころから独立心の強かった彼女は、客のひとりであった資産家の援助を受けて、パリに「シャネル・モード」を帽子屋を開く。
彼女のデザインする軽くてシンプルな帽子は、装飾だらけの帽子ばかりだった時代に評判となり、「シャネル・モード」はたちまち人気店となった。
1913年に高級リゾート地にモードブティック「ガブリエル・シャネル」、1915年にはオートクチュールブティック「メゾン・ド・クチュール」をオープンすると、翌年には、初のオートクチュール・コレクションを開き、そこで発表したのはファッション界の歴史を塗り替える、シャネル独自のモードだった。
ジャージ素材を使用したドレスは、コルセットから解放され、シンプルで無駄がなく着心地の良いデザインで、特に働く女性に向いていた。
「黒は喪を表す色でなくモードな最先端の色で、着る人の個性を引き立てるシックな色」という位置付けを生んだ「リトル・ブラック・ドレス」はシャネル・モード最高傑作とも言われた。
当時としては画期的な、機能的かつシックなデザインには「古い価値観にとらわれない自由で自立した女性像」が表現されており、シャネル(CHANEL)は上流階級の女性だけでなく、働く女性達からも支持されるブランドとなっていった。
1921年、シャネル初の香水「オードゥ・パルファムNo.5」を発売、世界的ベストセラーとなる。
その後1924年、香水専門のパルファン・シャネル社を設立し社長に就任、1929年にはアクセサリー部門の設立。 1930年代には服地専門のファクトリーを開設するなど着々と事業を拡大し、従業員4000人を抱える大企業となった。
しかし第2次世界大戦が始まると、ブティックは閉鎖となりシャネル(CHANEL)は香水とアクセサリーの店舗を残すのみとなる。また、世界大戦中フランスを占領していたドイツの国家保安本部局長と懇意にしていたココ・シャネルはフランス国民から激しい非難に合い、しばらくの間スイスで亡命生活を送ることとなる。
大戦終了後1954年、ココ・シャネルはブティックを再開するも、従来と同じスタイルのシンプルなスーツにフランスでの評価は低かった。
しかし、この頃ウーマンリブ運動が盛んだったアメリカでは、シャネルが提唱する機能的でシックな女性服が女性解放を訴える世相に後押しされ評判となり、1955年にはシャネル・スーツを発表し、モード・オスカー賞を受賞した。
1971年に創業者ココ・シャネルが亡くなると、シャネル(CHANEL)はしばらく低迷することになる。
そんな低迷期のシャネル(CHANEL)を救ったのが、1983年にアーティスティック・ディレクターに就任したカール・ラガーフェルドである。
彼は、今までココ・シャネルが築き上げた機能的でシックな彼女のスタイルを踏襲しながら、その時代に合った新しいモードを生み出した、シャネル(CHANEL)復活のまさに立役者であると言えよう。
100年を超える時を経て、世界のトップブランドへと成長を遂げたシャネル(CHANEL)。
アパレルと香水にとどまらずこれからも多彩なジャンルで、ココ・シャネルの意思を受け継ぎながらその世界観を発信し続けることであろう。
シャネル(CHANEL)
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